東日本大震災から5年が経過しました。
ジオ・サーチは津波で甚大な被害を受けた名取市内の幼稚園に
願いと希望を込めて桜を植樹しました。
その桜がすくすくと成長し、見事開花しました。
震災により被害を受けた皆様が一日も早く復興できるよう
ジオ・サーチはこれからも支援活動を続けて参ります。
以下、東北事務所スタッフからのメッセージです。
震災当時、私は地元山形県の高校2年生でした。
3.11があったからこそ、今自分はこの仕事に就いています。
これからも東北をもっともっと強靭化して、東北の人々の命と暮らしを守っていきます。(男性)
桜の木も花を咲かせるために一生懸命頑張ったはずです。
桜の木に負けないよう私も頑張ります!
東北の発展のために。(男性)
印鑑と通帳を捜しているんですが…。
大津波で家が流され、土台部分しか残っていない自宅前で立ちすくみ、そう語った閖上の年配の女性。
避難所を出て、アパートに入居するのに必要だと言う。
声をかけた自分を恥じ涙が溢れた。
7000人が暮らしていた閖上。津波で壊滅的な被害を受け800人の方々が犠牲になった。
震災から5年が過ぎ、あの女性と家族は、今、どんな暮らしをしているのだろうか?
復興が遅れ、未だ不便な生活を余儀なくされている方々が大勢いる。
改めて、犠牲になられた方々のご冥福と、被災地が一日も早く元の生活に戻れますよう
心からお祈り申し上げます。(男性)
東北の人の命と暮らしを守り続ける!そして子供たちが笑顔でいられるように!!(男性)
東日本大震災から5年が経ちました。
当時は津波のあった閖上にほど近い場所に住んでおり、津波は来なかったものの道路には水が上がってきており、大きな瓦礫が流れついてきていたり、大きな船が道路に流されてきたり…と震災前の風景とは全く異なる風景に愕然としました。
中心地である仙台近辺は復興も早く、日常を取り戻したように見えますが、今でも震災に苦しんでいる人も多くいます。
昨年、ジオ・サーチが津波のあった名取市閖上地域に桜の木を植樹しました。名取市にある実家に帰った時には必ず立ち寄って様子を見に行っていました。植樹を行った際にはまだ幹も細く、海風に耐えられるのか、丈夫に育ってくれるのか不安もありましたが、今年の春に幼稚園に植樹した桜が開花したのを見て涙があふれました。
まだまだ復興していない地域、日常に戻れていない被災者の人たちがいます。少しでも早く元の生活に戻れるよう願っています。(女性)
東日本大震災より5年余りの月日が経ちました。
あらためて、心より犠牲となった方々のご冥福を祈念し、被災された方々にお見舞い申し上げます。(男性)
東日本大震災から5年、とても早かったように思います。
まだ鮮明に残る地震の記憶、
「あれはもう5年も前のことだったのか…」と月日の流れを感じます。
当時、津波で被災した場所は、ガレキの山でモノクロの世界でした。
植樹をした際に「希望の芽未来に向けてサクラサク」という標語を提出しました。(名取市閖上日和山公園に掲示)
いま、幼稚園に咲いたピンク色の桜を見ると、
標語に書いた通り「希望の芽が咲いてくれた」という想いと、
桜の木のお世話をしてくれた園児たちの「明るい未来に向けた希望」を感じます。
まだまだ復興に向けて奮闘中の東北を、これからも忘れないで見守っていて欲しいと願います。(女性)
震災から5年…。
被災地の復興にはまだまだ時間はかかりますが、
日和山の桜が咲いたように、きっとまた生活に彩が戻る日が来ると思います。
その日を目指して、“インフラの内科医”として東北を走り続けます。(男性)
名取市内幼稚園に桜を植樹
撮影日:2014年6月11日
過去の記事:https://www.geosearch.co.jp/csr/07.shtml
http://ameblo.jp/geosearch/entry-11879445567.html
植樹から3ヶ月
撮影日:2014年9月11日
開花した桜(2年目の様子)
撮影日:2016年4月16日