1月11日(水)に最終回となる第6回の慶應義塾大学理工学部「貢献工学(減災学)」を開催し、弊社社長・冨田洋が、「貢献工学(減災学) 創造への期待 ~災害に強くしなやかな社会づくりのために~」と題して昨年10月にスタートした今期の貢献工学(減災学)講座の総括を行いました。
講義の冒頭では、これまでの各回講義の振り返りとともに学生の皆さんから寄せられた感想レポートを紹介しました。 レポート紹介では多様な意見や考え方が披露され、講師にとっても学生の皆さんにとっても多くの気付きや学びを得ることができました。
また、レジリエンスな心のあり方、ビジネスへのヒント、そして技術者倫理の重要性など、貢献工学(減災学)の本質となる要素についての説明は、将来の進路を検討する学生にとって、大いに参考になったと思います。 本講座に参加していただいた学生の皆さんが、未来に大きく羽ばたくきっかけとなれば幸いです。
最後に、今期の講座開催にあたり、多大なるご協力をいただきましたダイヤル・サービス株式会社代表取締役社長の今野由梨様、城南信用金庫前理事長で相談役の吉原毅様、衆議院議員で前防災担当大臣の河野太郎様、また、慶應義塾大学理工学部の先生方のご支援に感謝いたします。ありがとうございました。
学生の皆さんからいただいた主な感想や意見(抜粋)
・工学とは、ただの科学技術ではなく、人の暮らしを豊かでより良いものにするためにあるという考えが強くなった。特に、災害により通常の生活システムが機能しなくなった場合や貧困などにより、基本的な生活水準が維持されないような場合において、工学が発揮する力は大きいものだと感じた。しかしながら、工学の技術が悪い方向に利用されているケースも残念だが存在する。原子力爆弾はその例だろう。人をサポートするツールとして工学を確立するためには、工学に携わる者、つまり私たちが“貢献する心”を持ち続けることが大切だと感じた。自分や組織の利益だけを考えていたなら、人の役に立つどころか、人の不利益になったり、最悪の場合、人の命を脅かす存在になりかねない。
・災害に強い社会づくりというのは、まさに災害大国である日本が迅速に進めていかなければならない課題であると同時に、日本がそうした社会のロールモデルとして世界の標準となっていかなければならないと今回の講演を聴いて感じた。日本は台風、地震、噴火、洪水など、ありとあらゆる災害を受ける国であり、このような国で災害に強い社会をつくることができれば、世界の各国は、自国の災害事情に合わせてその日本モデルを変えていきながら自国に適用することができる。このような世界の連携を進めていくことによって世界全体を災害に強い社会にしていくことができ、そのような課題の共有は、技術やノウハウの発展を更に促すことだろう。
・大手上場企業の危険性や不正についての話が興味深かった。これまで大手上場企業の不正事案のニュースを聞くたびにどうしてそのような事をこのような大手上場企業がしなくてはいけなかったのか、とても疑問に思っていたが、上場企業には上場企業ならではの危険性があるのだと理解できた。おそらく不正を働いてしまった社員達も悪意を持ってそのような事をしたのではなく、株主の圧力や日本人特有の帰属意識の強さ故にやむを得ず不正に走ってしまったのであろうと思うと、これから社会に出る私達にとって無関係な話ではないな、と思った。
・貢献心という言葉に何か偽善のようなイメージを持っていた。貢献を謳いながら、それを利用して利潤を作るという資本主義のツールの一つのようなニュアンスで見ていた。しかし、貢献工学を受けてこの考え方が私の思っていた事とは逆であるということが分った。“人間は助け合わないと生きていけない生き物である”という考え方から生じる貢献心を行動にすることにより、それを成し遂げる中でお金は自然と入ってくる。だからこそ貢献心を持ってさえいれば、利益について頭を抱える必要はない。という考え方は、私にとって革新的だった。現在の高度に資本化された社会においては、様々な物事が貨幣化され、それを尺度として社会が動いている中で、貢献工学の考え方は人々が疲弊することなく、持続可能な発展をしていく上で基本的かつ重要であるということに気付かせてもらった。
・自分は大学三年生ということで大学院進学を含め将来どのような仕事に就けばいいのか非常に悩んでいたが、「社会貢献」などということは一切考えておらず、給料の良し悪しなどだけで企業や職種を探していた。ただ、そのような要素だけで就職しても絶対にやりがいなど得られないし長続きしないと気付かされた。社会貢献に直結する仕事を見つけることは非常に難しいし、あったとしてもそう簡単に成果を出すことはできないと思うが「例えお金にならなかったとしても、自分がやる、やらなければならない。」と思える仕事や専門分野を見つけられるよう努力していきたいと思った。
以 上